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トゥルク・テンジン・デレク ダルツェンド(康定)で拘置

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(2002年8月3日 TCHRDニュース)

チベットから寄せられた信頼できる情報によると、トゥルク・テンジン・デレク(写真右)は現在、四川省カンゼ(甘孜)州のチベット族自治州ダルツェンド(康定)で拘束されているという。報告によると、トゥルク・ テンジン・デレクは四川省公安当局拘置所に収容されているが、拘置所で目撃したという人はいないものの、役人を通して食料やその他の必需品を送ることが許されているらしい。トゥルク・テンジン・デレクの逮捕からほぼ4カ月が経過したが、公判は行われていない。

トゥルク・テンジン・デレクは、リタン(理塘)県で人々の尊敬を集めている有名なラマである。彼は今年の4月3日に成都の大広場で起こった爆破事件に関与した 疑いで、その4日後の夜、4人の付き人と共に四川省公安当局により逮捕された。爆発の首謀者は体制に 不満を抱く中国人労働者や法輪功の信者によるもの との噂があるものの、5人には爆発計画の嫌疑がかかっている。報告によると、トゥルクと共に逮捕された4人の付き人ツゥルティム・タギャル、タムディン・ツェリン、アシェ・タギャルそしてトゥンドゥプ(平信徒)もまた同じ拘置所の別々の独房に収容されている。トゥルク・テンジン・デレクの生徒であるタムチョ・ニマとオトック僧院の厳格な僧タシ・プンチョックは、トゥルク捜索のために逮捕されたが、現在は釈放されている。

トゥルク・テンジン・デレクが裁判要請を自筆で提出したことをダルツェンド(康定)の役人が地域の住民に話し、今回の拘留が明らかになった。問題となっている 署名の複写は裁判所にまだ届いておらず、近隣で止まったままになっている。役人らは、裁判を開くためには1千万円以上という桁外れの金額が必要と要求している。訴訟の機会をトゥルク・テンジン・デレクに与えず、裁判を受けさせないためにこのような法外な金額を要求していることは明らかであり、中国の法制度に蔓延している政治腐敗と贈収賄を明確に示している。役人たちは裁判に関する地方住民からの質問に答えていない。地方住民の1人はこう嘆く。

「裁判に必要な金額を集めようと努力したとしても、 トゥルク・テンジン・デレクの悲運を変えることはできないかもしれない。資金とトゥルクの両方を失うことになるのではないだろうか」

しかし、あるチベット人は裁判施行のための資金を集める基金を創設し、リタン(理塘)県やその近隣に住むチベット人らから資金を調達してもらうチームを作った。彼らの努力によって目標金額の約半額の資金が集まった時、公安当局が干渉に入り、基金チームのメンバーのツェリン・トゥンドゥプ、ツルティム・タギャル、ディメ・ギャツォらチベット人3名を逮捕した。ツェリン・トゥンドゥプは未だ拘置されたままであるが、残る2名は1週間後に釈放された。

地域のチベット人らは、トゥルク・テンジン・デレクが爆破事件の犯人にでっちあげられたと信じている。トゥルク・テンジン・デレクは、チベット文化やチベット宗教に対して強い支持を示し、地域のチベット人社会から政治的に尊敬される立場にあり、リタン(理塘)県の学校開設、老人ホーム設立、そして地域紛争の解決などを含む地域福祉活動に従事していたために、当局から厳格な監視を受けていた。

トゥルク・テンジン・デレクは、1950年にリタン(理塘)県に生まれ、7歳の時にリタン僧院に入り、高僧ケンスル・シャクパに師事した。トゥルク・テンジン・デレクは1979年、晩年のパンチェン・ラマの講義を密かに傍聴し、中国政府のチベット人に対する無差別な残虐行為についての彼自身の見解を発表した。また、特にリタン(理塘)県での破壊されたチベット僧院修復の必要性を強調した。1979年の亡命チベット人代表団による第1回目の調査実施中には、トゥルク・テンジン・デレクは代表団の1人に中国政府のチベットでの僧院破壊について詳しく説明した。1982年代初めには、ダライ・ラマの法話に参加するためダラムサラに赴き、さらに南インドのデプン・タシ・ゴマン僧院に6年間滞在した。1983年、ダライ・ラマは彼をゲシェ・アダム・プンチョクの転生者と認め、テンジン・デレクと命名した。

1987年、トゥルク・テンジン・デレクはインドから帰国。政治活動疑惑及びダライ・ラマとの関係について継続的に監視を受けることとなる。厳しい監視は今年の4月7日に逮捕されるまで及んだものの、それまでずっとトゥルク・テンジン・デレクはリタン(理塘)県の福祉活動に大変意欲的に取り組んでいた。